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春に想う 6話 - 21歳の春(3)

大学に行かずに遊び呆けている時は本当に楽しかった。
朝まで飲んでることはしょっちゅうあった。
ビリアードが好きだったので、
よく朝まで飲みながら玉を衝いた。
喉がかれるまでタバコをすっていたし、
かわいい女の子が店に来れば、声をかけてからかった。

何がうれしかったかと言えば、もう 『誰も勉強しろ』、とは言わなかった。
何をしていても、大学生だという身分が俺のやることを保障していた。

そんな楽しい夏も終わって、後期の授業がまた始まった。
私立が夏休み前に試験を行うのに対し、
国立は、当時、休みが明けてから前期試験を実施していた。
さすがに、試験の1週間ほど前になると、机に向かったが、後は集中力がもたない。
当たり前だ。
勉強などとは無縁の生活をしていたのだから、と、
自分に言い聞かせながら、試験当日を待った。
タバコが異常に減った。

試験の日に、少し早く来て机に座っていると、
みんなやりだしたのがカンニングだ。
解答を書いた紙をカンペンケースに忍ばせたり、
机に落書きを装って過去問の解答を鉛筆書きするやつ、、
なかには、仲間でタッグを組んで、並んで座って、
共同で答えを教えあうやつらもいた。
それはさまざまだったが、ほとんどクラス中の生徒が何かしら、
そわそわしていた。

俺は、勉強は嫌いだが、ズルをするのは、好きじゃない。
出来るかどうかを客観的な尺度で測るのがテストだ。
いまでも、そう俺は信じている。
カンニングすれば、単位は取れるが、
カンニングしてまで、そんなものが欲しいのか?
出来ないやつは、大学を辞めればいい、その方がよほどカッコいいとさえ、思っていた。

俺は、輪の中から外れていたので、
もちろん、誰も俺にカンニングの誘いをかけてくるやつなどいなかった。
しかし、何の策もなく試験に臨んで点が取れるほど世の中甘くない。

それ以来、これが大学なんだ、と思うようになった。
カンニングして、答えを教えあって、仲間でつるみながら試験を受ける。
これが、日本の最高学府なのか?

後期が始まっても、勉強など余計しなくなった。
なぜなら、興味がもてなかったからだ。
バイトに明け暮れていた。
語学など、規定欠席回数を超えて欠席すると、
自動的に除名される科目などもあったが、俺は知らないうちに除名されたりした。
年も暮れに近づくと、もうほとんど、幽霊学生のような存在で、
授業に全くといっていいほど出なくなった。

平成2年の年が明けて、何を誓うこともなく、初詣に行ったのを覚えている。
こんな堕落した生活をしたかったのか?
なぜ、俺は大学に入ったのだろう。

俺の場合、皆が同じようにやって普通に切り抜けていく事が、うまく交わせない。
人にしてみれば、意味のない自問自答ばかりを続けるところがある。
要は、生き方が不器用なのだ。

すでに浪人を2回もしているので、本来なら、背水の陣で、就職への道を
突っ走るべきだったのだろう。
どうも、「そういう受験勉強の行き着く果てはここしかない」と、
いうような人生の選択をかたくなに拒否しているところがあった。

もうすでに前期の試験でだいぶ落としているので、後期で全部とっても
単位数で標準を下回ることが決定していた。
語学の単位は絶対に足りないので、
もうすでに後期試験を受ける気さえなくしていた。

そのときに、2浪しているときの友達Kと、飲食ビジネスでもはじめるかとという、
降って沸いたような誘いに、淡い夢を感じた。

2月の終わり、単位の集計が終わって、
取れたのは、語学2単位(通常10単位前後)を含む20数単位。
他の生徒の半分以下であった。

俺は、それを潔く受け止めた。
もう、大学は俺のいる場所ではないと決心した。
母親に話すと、泣いてとめたが、俺は言うことを聴かなかった。

大学を退学しようとして、退学届けを係りの者に出しに行ったら、
『学部主任の先生の許可を得てから、来てください』、と言われ、
俺は、迷いもせず、M教授の部屋に行った。

M教授は、有名なで、おだやかな人だった。
彼は俺に、『どうして大学を辞めるのか?』、と、聴いた。
俺は、『興味がないし、大学は本当に勉強したいやつが来るところであるべきだ』、と言った。
彼は、頷きながら、『やめるのはいつでも出来るから休学にしろ』、と勧めた。

一度やめると、大学受験しない限り復学が不可能だったからだ。
俺にとっては、その時、休学も退学もあまりたいした意味を持たなかった。
俺は、逆らわずに、休学することで彼との話を終えた。

Kは当時、大阪にいたが、
俺とは京都で定期的に会おうということで、話を進めていた。

元手となる資本を集めて、建研を積むために、
京都で、フリーターを始めた。
家を出て、バイトでためた金でマンションを借りてた。

それは、22歳の春が始まる時でもあった。

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